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究極の救い2019.05.25 Saturday
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こんばんは!
UMMOです。
小林正観さんの著書で、人生は「全自動洗濯(選択)機」だ。
という、一文があるのですが、
ノンディアリティ(非二元)の世界でも、違う言い方で、同じことを言っています。
苦しみと向き合う時、自分の心と向き合うとか、カードで占って吉凶を出すとか、
パワーストーンで、楽になるとか、色々方法はあります。
然し、究極の救いは、「私はいない」なのです。
自分たちには、自由意志と選択がある。
自分たちが人生をコントロールしている。
コントロールできると思っている。
これが普通の人生観です。
然し、ノンディアリティ(非二元)の世界では、ここを徹底的に否定しています。
実は、自分のチカラでなんでもできると思う事から、分離が始まり、
不幸の元で、特別な存在になろうとすることが、至福、自由から離れていると説明しています。
「自分がいない」
これは、理解できない事なのですが、思考で理解する事はできません。
思考が、この分離を創っている為、その分離を創っている、思考で思考を超えたものを理解する事はできません。
私という個人が消える経験をした人はこれを更に特別な経験として、持ち運び「覚者」だ!と
更なる分離を創ってしまいます。
この堂々めぐりなのですが、人生って、私達にとっては非常に重要で、歳を重ねていくと、
段々、深刻になっていきますよね?
然し、ここを完全に認めて、人生について、
「もう、なるようにしかならない、どうにでもしてくれ!」
という感じになると、非常に楽になるのです。
丁度、川の流れをせき止めていたダムが決壊するように、自我が落ちてしまいます。
その時、至福とか、愛とか言いたくなるような多幸感があり、
多幸感があると、状況は、逆に問題がない方向に進んでいくのです。
これは、今まさに思考にとらわれていると、そんな事は考えられないと思いますが、
対処療法でもいいので、楽になると問題が消えるように、
認識がシフトしていくのです。
昔からこの事を、覚醒、見性、悟りとか仰々しく言っているのですが、
誰にでも起きる可能性があります。
私は、こんな経験と呼べるものはないのですが、
常に、過去と未来があって、その物語の中心に今があるという認識がいつのまにか外れてしまいました。
「今」というものは時間の中にはなくて、そこに「ただ在るもの」という感覚なのですが、
その言葉では表現できないものが、究極の救いなのだと思います。
ありがとうございます。
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