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ただ平穏に暮らしたいだけなのに・・・2020.06.23 Tuesday
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こんにちは!
UMMOです。
経済の混乱と共に、次々の実態が明らかになっています。
この事を単純に表すとたった3行で解説できます。
1.ただ平穏に暮らしたいだけ(目的)
2.ただ平穏に暮らすにはどうしたらいいか?(手段)
3.ただ平穏に暮らすには人より抜きに出て、争い打ち勝つ事だ!(役割)
という事で、目的を達成しようと必死になればなるほど、目的が手段となりその役割に埋没して、混乱となります。
その混乱は、誤った正義と正義の競争であり、争いです。
こんな単純な事に気づかず、私たちは、どこまでいっても「ただ平穏に暮らしたいだけ」という目的を忘れ、手段を模索して、役割と同化して、混乱を繰り返しています。
いつの間にか、「役割」に埋没して、平穏から遠ざかって、自分を完全に見失っちゃっている訳です。
「役割」を演じているうちに、自分ではない自分に成り切って、他者を批判するという分離の現実に苦しんでいる。
おかしくならないほうが、おかしい!
・・・で、お酒や、快楽に溺れていくのは、昨今のメディアを見てみれば、明らかです。
自分が「役割」に同化して、どうかしているのに気が付いてない事にさえ、気が付いていない。
疑問さえ持たずに、これまでした事を「自分」のステータスとして、後生大事にしているもんだから、他者に対してその価値観をおしつけちゃう!「どーしてわかんないの?」って。。。
【UMMOの結論】
それらもひっくるめて、戦わないで「そうかもしれない!」って相槌を打ってみましょう。
考えなくていいです、その人にとっての正義を批判しないで、「そうかもしれない!」って。
自分を高めたり、多くの人に自分をプレゼンテーションするのを止めた時に見えて来る世界があります。
「自己の発見」です。
この表現は、二元の表現ですので、賛否両論はあるのですが、とりあえず二元の現実に生きている社会においては、「そうかもしれない!」でいい。
非二元の本当の意味での現実は、そもそも、存在していない自己は発見できないので、自己は永遠に発見できません。。。
もっと言えば、二元の現実に於いても、実際に他者の頭の中にあなたはいません!それどころか、興味さえなく、自分に都合の良く認識された、あなたという誤ったイメージがあるだけで、本来のあなたとは全く関係のない想像があるだけなのです。
もし、今「もういいや!」って、この世界から降りたい!って思うのなら、非二元の自己の不在を最初に見抜いた方が楽になれますが、思いっきり、比較対象のある二元の現実を生きる、私達の日常は、「そうかもしれない!」で乗り切れると思います。
私は、厳しい言葉が好きではありませんし、実際そうやって、自己を高めていくのが逆に苦しみを生むと思っています。
自分で、自分を評価するのは、辞めた方が良い。
また、他者に対してもあーだこうだと、評価を下すのも辞めた方がいい。
それは、いつも、争いの入口となるからです。
ありがとうございます。
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