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空に触れてしまえは、あとは言葉遊び2020.06.25 Thursday
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こんにちは!
UMMOです。
最近、阿部敏郎さんのブログから、NIKE瞑想をやっているのですが、
その日によって、自分のコンディションが全然違うのに気づきます。
思考が止まらない日もあれば、瞑想に入っていけないで、逆にイライラする事もある。
常に冷静に淡白になんて、無理なんだなぁとつくづく思う次第です。
個人が、自分の思考を操ろうとすること自体に無理があるのだと思います。
嫌な気分を紛らわせたり、他の事を考えて思考を変える事は簡単でも、瞑想から思考を放っておくというのは結構その日の体調や状況に飲み込まれてしまって、なかなか思うように瞑想できないものです。
タイトルの通り、一旦※禅定(ぜんじょう)に入ってしまえば、この思考がただの言葉遊びでどうでもいい感じになるし、実際それこそが真実だと確信するのですが、毎日瞑想したとしても、禅定に入れたのは、月に1,2度あれば、良い方だなぁと感じています。
※思いを静め、心を明らかにして真正の理を悟るための修行法。精神を集中し、三昧(さんまい)に入り、寂静の心境に達すること。
それで、ああ!って気づいたのですが、この禅定って、男女関係に似てる!
最初は、言葉の世界で始まる恋愛と同じで、情報から入ったり、想像から入るじゃないですか!
それが、関係が深くなっていくと、もう会話も無くなっていきますよね。
これだ、これ。
お互いが信頼して、もうこれ以上ないな!って思うと会話が無くても何を考えているか?解る。
空の次元って、繋がっているから、深く瞑想に入っていくと、物凄い洞察が勝手に働きますよね?
空の次元に入ると、もうあとは暇つぶしみたいなもので、よく会話が無くなったカップルなんかを見てみると、想像とか新しいトキメキなんかが薄くなるから、なんか相手を観なくなってきます。
無理矢理、ネタを持ってきて会話を成立させようとする人も居れば、ただ安心して寛いでいる人もいる。
だから、探求の中に居る人は、空にあえて触れようとしないのかもしれません。
好奇心や探求、比較は全部、ファンタジーで面白いものだから、止めたくないってのが潜在意識で起きているように思うのです。
そうか!皆、悟りたくないんだ!って、、、
恋愛と全く一緒で、お互いに駆け引きとか、サプライズがある内は面白いですよね。
スピリチュアルがファンタジー(恋愛)の世界だとすると、禅は「愛」の世界!
って勝手にまた解釈している自分がいるのです。
ありがとうございます。
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