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簡単過ぎて解らなくなった心の原点
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    こんばんは!
    UMMOです。

    「今」をみつけよう!

    とか、

    「悟りを開く」

    とか、こういったメッセージがスピリチュアルな世界を余計混乱させているなぁ、、、と想う今日この頃。

    子供の頃は、誰もが絶対的に守られていて、大丈夫で幸せだったのですが。。。

    誤った教育によって、我慢、忍耐力で、努力して、人から称賛されるような人間になる事が幸せに繋がると信じ込まれて来ました。

    それが、夢や希望を持って生きる事で、素晴らしい事だと。

    然し、その夢は、常に「今」ではない「いつか」を指していて、心はいつも「いつか」若しくは「明日」とされてきました。

    なので、心はいつも「いつか」を指していて「今」を生きていない。

    これ(今)に気づくだけの事を「悟りを開く」と仰々しく語れれるようになってしまった訳です。

    神社、仏閣は、いわゆる静寂な空間で、清々しい気持ちになって、「今」を見つけられる場所なのですが、いつの間にか神様に願い事を叶えて貰う祈りの場所となってしまいました。

    何が、どう間違って「今」を感じる場所の筈が、「いつか」の願い事を叶えて貰う祈りの場所になってしまったのか?

    僕にはよく解りません。。。

    見性体験も同じで、何故か物凄いイメージを持っている方が如何に多い事か・・・

    頭の中は、「今」ではない、いつかの不安に苛まれていたのが、今に戻って来たときに起きた閃きに過ぎず、それまでの思い込みが余りにも大きかった人が、この余りにも当たり前の「今」に帰ってきた為、神的な経験をしたとか、言いだしています。

    終いには、霊が見えるようになったとか、チャネリング出来るようになったとか、言い出す人もいます。

    一言でいうと「今」しか経験できない真実に目覚めただけ。

    なのです。。。

    もし、巷で言われているような、それ以上の神秘体験がもし存在するのであれば、それこそが幻覚であると思うのです。

    間違っていますかね。。。

    ありがとうございます。
     

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    posted by: ummo星人 | - | 00:12 | comments(5) | - |
    いつもブログを楽しみにしています。
    ここのブログのおかけで、子供の頃から抱えていた漠然とした不安がなくなったのですが、もしその不安がなければ、世間体の良い仕事ではなく好きな仕事を出来たのにとか、大好きな人とも自信をなくして別れなくてすんだのかもと思うことがあります。
    人生の大半が不安に支配されてしまっていて、いつも大丈夫だったのに、取り越し苦労ばかりしてもったいなかったなと感じます。
    どうすればこれで良かったと思って日々過ごせるのでしょうか。
    不安は必要ないと気づくのが遅くて、1人になってしまいました。
    悩みを話せる友人もいません。
    毎日仕事と家の往復で、周りは子育てや自分の家族のことで精一杯なので余計に取り残された感が強いです。これも思い込みなのでしょうか。
    これからも大丈夫!と思って生きていけば、まためぐりあいはあるのでしょうか。
    目的がないといけないという洗脳教育から抜けていないだけかもしれないですが、生きる目的を見失ってしまいました。
    御助言頂けると幸いです。
    | 藍色 | 2020/10/09 10:37 AM |
    藍色 さま

    コメントありがとうございます。

    仕事の関しては、人の目の中で生きていれば、自分のやりたい事はなかなか見つけられないし、もし、やりたい事が見つかったとしても、金銭的に生活が出来なかったり、やり過ぎて飽きてしまったり、それが義務になった途端、逆にストレスの元となってしまう事はよくある事だと思いますし、それがむしろ必然です。

    恋愛については、大好きな人ほどそこに独占欲や執着が働いて、知らず知らずのうちに、相手を縛ったり、監視したり、試したりと、自らが、別れに仕向けちゃっている場合もあります。

    人は、得たら得たで、不安を持つし、失ったら失ったで、悲しみを負います。
    そして、いづれにしても、必ず失うのです。

    ストーリーの現実に生きるとは、こういう事で、ここに振り回されっぱなしである事は、紛れもなく全員が経験している事です。

    人は往々にして、何らかの「不安」や「恐怖」から「行動」にいつの間にか移行される運命となっていて、藍色さまのように、自ら手放すという決断は、むしろ、健全な事なのかも知れません。

    何かを成し遂げようと、しまいと、どちらにせよ「遣り切れなかった!」という、「後悔」が乗っかってくるので、何を選択しても結果は一緒とは、良く言ったものです。。。(奇跡のコース:香咲弥須子さんの発言)

    それも含めて、「自分がやってない」という真実に気づく事で、楽になるかも知れません。
    実際、想いや感情は、自分で生成していません。

    向こうから、やってくるもので、夜見ている夢と全く同じように、思いも感情も、そして行動も、自分で選択したり、コントロールする事がまったく以て、不可能なのです。
    生まれた場所も、時間も、名前も、「変えようかない!」ようにです。。。

    ある意味、これ以外の選択肢は無かった!と、完全的な「降参」の境地になって、私の場合は楽になりました。

    本当に、電車の車窓から、外を眺めているような感じで、全自動に起こって来る景色に身をゆだねてしまう。

    自分でなんとかしなきゃ!と躍起になっていると、物事はうまくいかなくて、「降参」したら、今在るものに感謝の念が湧いてきて、初めて「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉が言えるようになった気がします。

    最終的には、自分を赦し続けることに納得の行く場所があり、それはいつかでは「今」しか出来ない。
    ここでいう「今」は、時間を指しているものではなくて、「全ての存在」のことを指しています。

    常に経験できるのは「今」にしか無く「今=存在」のことなんだ!
    時間とは、人間が勝手に決めた物差しで、時間なんか存在しないんだ!

    と深く腑に落ちた時、時間が無くなり、自分自身が全体と仲直り出来た気がしています。。。

    持論ですが、矢張り相性と良い人と適当な距離感で付き合うのが一番良いと思うのです。
    なので、’ひかり’の部屋を作ってはみたのですが、今のところ、誰もご活用してくれない。。。笑

    長くなりましたが、またコメント頂けると嬉しいです。

    ありがとうございます。
    | UMMO292 | 2020/10/09 11:39 PM |
    コメントにお返事ありがとうございます。
    何度も読み返しています。
    まだ人生の傍観者になるのが難しく、すぐ巻き込まれてしまい、なんとかしなくちゃと苦しくなってしまいます。
    まずは赦しから始めてみようと思います。
    抜け出ることができるようこれからもブログを楽しみにしています。
    ありがとうございます。
    | 藍色 | 2020/10/10 10:23 PM |
    UMMOさん、こんばんは。以前、何度かコメントさせて頂き、何度も救われたMです。有難うございます。
    相変わらず自我&現実の囚われの身のような生活をしていて、なかなか苦しい日々ですが、結局は…変な言い方・古臭い思考ですが「根性」が大事なのかなと思ってます。疲れる思考だというのは重々承知ですが、長年培ってきた思いこみ(洗脳?)を転換するには根性が大事かなと…。
    あと、お世話になっている隣家のお爺さんが大事に飼っていた保護猫が交通事故で亡くなったのですが、病気でも一生懸命生き抜く姿に毎日元気を貰っていました。保護されたときは瀕死の状態だったのに、お爺さんと二人三脚で病気を克服する姿や可愛さに勇気を貰ってました。やっと病が軽くなり、これからという時に亡くなったので、可哀想で可哀想で…(ヘタすると人間より立派に見えました)その猫が亡くなって辛い日々です。たかが猫(されど猫)ですが、この場合、どういう思考(受け止め方)をすればいいでしょうか。もの凄くつまらない質問ですみません。
    | M167  | 2020/10/13 2:53 AM |
    M167 さま

    コメントありがとうございます。

    避けられない不幸な出来事や、事故のような出来事まで、人生は様々なハプニングの連続です。

    「根性」で、乗り越えられるのであれば、そのやり方が私も良いと思います。

    例えば、仕事上での困難でも、頑張ればなんとかなると解っていたら、頑張ればいい。

    事故や病気にあっても、その痛みや苦しみに対しては、我慢するしかありません。

    何事にも根性、忍耐は、必要であると思います。

    最初から、「どうでもいい」とか「なるようにしかならない」と言っていても、心の奥底では、なんだかんだ言っても「なんとかしたい!」と思っているのが普通ですし、嫌な事からは逃れ、良い経験をしたいと思っているのが普通ですし、実際そうだと思います。

    それが、我慢、忍耐、根性でコントロールできる範囲のものであれば、我慢、忍耐、根性で、頑張れば良いと思います。

    問題なのは、その出来事を自分で更に悪化させるような、努力をしないことかも知れません。

    自分の思いを押し殺して、悲しみを紛らわせるよりは、思いっきり泣いたり、取り乱したりしている方が事態は悪化していくように思えます。

    努力や根性が不要というより、我慢が不要だと思います。

    例えば、「私は薬を飲まない!」という信念を持っている人がいて、激しい頭痛に見舞われたとしましょう。

    信念を守るより、鎮痛剤を飲んで楽になった方がいいとは思いませんか?

    そうやって、自分これまで作り上げて来た信念体形が、自分を苦しめる道具になっていたのであれば、そういうのは、もうやめたほうがいい。

    また、そういうのを人に押し付けない方がいい。

    そんな風に思います。

    ありがとうございます。
    | UMMO292 | 2020/10/13 7:12 PM |